愛知県依存症治療拠点機関(薬物依存症)啓発サイト

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刈谷病院

体験談

三河ダルク(回復支援施設)体験談

体験談:Aさん

私が、三河ダルクに入所したのは今から5年前のことです。2回目の刑務所にいる時に、どうしたら早く出られるかという事ばかり考え、出所後に三河ダルクに行くと言えば早く出られると思ったからでした。
でも、止めたいという願望もありました。止めようと何度も何度も頑張りましたが無理でした。どうせ止められないだろうと、あきらめていました。だから、入所して、しばらくはミーティングで自分の事を大きく見せようとしたし、すでに失ってしまっている過去に生きていました。正直になる事もしませんでした。
でも毎日毎日、朝と夜、ミーティングを続けていくうちに先行く仲間の正直な話が私の心を動かしていきました。

自分は、仲間たちと違うと見下していましたが、自分も同じだと共感するようになり、ミーティングで正直に自分の話が出来るようになり、他人や環境が悪いんだと思っていたことが、自分にも原因があったと認められるようになっていきました。ダルクやNA(自助グループ)のイベントで仲間の体験談を聞き、「止め続けたい」と思うようになり、「止め続ける」には、どうしたらいいだろうと考えるようになりました。共同生活や仲間との関わり、仲間のサポートにうんざりして、いつまで続くんだと思っていましたが、仲間と一緒にいなかったら正直になれていなかったし、また刑務所に戻っていたと思います。

ダルクのプログラムは強制されません。「気づきのプログラム」「正直プログラム」これが、私には効果があったと思っています。仲間の姿から気付きを得、ミーティングで正直に自分の話をする。
昨年の4月からダルクの職員をやらせてもらっています。止め続けること、仲間と関わり続けること、プログラムを続けること。依存症に治療法はなく回復は一生続きます。 自分は喉元過ぎれば熱さを忘れるの言葉どおり、すぐに「治っちゃった病」になり依存症である事を忘れてしまいます。だから、ダルクにいてプログラム、ミーティング、仲間と関わり続けることが大切なんだと思います。自分が今あるのは仲間の愛と寛容さのおかげだと思っています。

私のメッセージと経験が誰かの役に立てばと思っています。

体験談:Bさん

長男として生まれました。勉強は好きではないですが、学校には行くのが楽しかったです。ただ、明るいけど、さみしがりやで内向的で人見知り。小学校はすごく傷ついた経験がありましたが、相談できず自分で悩みに答えを出していました。みんなに好かれたい、嫌われたくないと思っていて、自分の気持ちに嘘をつく性格になっていました。

薬物と出会ったのは16歳の夏です。友人の勧めで大麻を使いました。断ったらどう思われるか、一回位なら大丈夫だと思いました。うまく使っていましたが、次第にコントロール出来なくなって、23歳頃に精神病院へ行きました。薬物依存症の診断を受けましたが否認をし、お酒と市販薬と危険ドラックに切り替えましたが、仕事が出来なくなりました。
29歳でダルクに繋がりました。

絶望的でした。生きている意味が分からず、自分の存在意義も分からなかったです。毎日死にたいと思っていたのですが、気持ちが言えず苦しかったです。ただミーティングが救いでした。ミーティングではどのような生き方をしてきたのか、人生を振り返りました。そして自分の考え方を変えていくことを学んでいきました。過去を振り返ることは辛くて苦しい時もあったり、正直な話をするとミーティングで聞いている仲間達にどう思われるか気になったり、罪悪感で苦しくなりましたが、仲間の言葉を励みに自分と向き合いました。弱い自分を認めると段々と楽になっていきました。

3年目にアルバイトを始め順調に出来ていたのに、人間関係が嫌になり死にたくなりました。平気なように装っていても内面ではボロボロでした。自分は本気で生き方を変えたいと思いスタッフに助けを求めました。親身に悩みを聞いてくれて、どうしたら良いのか一緒に考えてもらいました。時には本気で自分の事を怒ってくれて、期待に応えたいと思いました。今はダルクのプログラムで、自分の欠点を手離すことを心がけて過ごしています。

薬物をつかっていた頃は引きこもりでしたが、施設の皆と旅行に行き、四季折々のイベントをしてとても良い思い出になっています。いつも仲間が側に居てくれて優しさに癒されました。料理を教えてもらい、今では自炊出来るようになり仲間と一緒に料理しています。

仕事も出来るようになりました。薬物依存症という病気になりましたが、その経験を活かし苦しんでいる方の手助けが少しでも出来ればと思っています。人とのつながりを大切にすることで幸せになれることを実感しています。そしたら薬物を使う必要がなくなりました。

ダルクにつながって新しい生き方を学んで、新しい希望を手にすることができました。
ダルクにつながり、良かったです。

体験談:Cさん

初めて薬物と出会ったのは高校2年生の夏休み、友人宅でいつも通りお酒を飲みながら遊んでいる時でした。「使ってみる?」仲の良かった友人からの突然の誘いでした。嫌われたくない思いが勝って断る勇気もなく、自分の手に薬を持って使うことを選びました。その時今まで抱いていた薬物への恐怖心は薬物による快感と共に吹き飛びました。「ずっと使うつもりは無い」と自分に言い聞かせながら2回が3回になり、毎月が毎週毎日になり使用頻度と量と薬種(大麻、コカイン、LSD、アルコールなど)が増えていく一方になりました。
大切な人が自殺してしまった悲しみも抱えていて、現実が受け入れられずに感情に蓋をしては薬で麻痺をさせて、家族友人には相談することもできずに自分で解決しようと心を閉ざしていました。

「自分は大丈夫」「仕事さえしてれば何とかなる」「誰にも迷惑はかけてない」と、いつの間にか使い続けるための理由を探しては使うことを繰り返す自分に変わっていました。借金だけはしないでおこうと決めた自分のルールもねじ曲がり、消費者金融で借金をしてまで薬を買い続けていました。14年止まることなく使い続け、30歳の節目の誕生日は逮捕されて留置場の中で迎えました。誰にも迷惑をかけずに隠れて使っていたつもりが、面会に来た母親に初めて薬物使用が知られ、「殺されたほうが良かった」と言わせてしまうほどに傷つけました。同僚の仕事仲間からは解雇通知をされて仕事を失いました。帰る場所も無くなり段々と現実に直面せざるを得なくなり絶望的で苦しくて死にたいという気持ちも抱くようになりました。

一度は生活を取り戻そうとして仕事に就きましたが、うまくいかずに今度はアルコールが止まらなくなりました。死ぬことばかり考えて苦しんでいた時、母親の紹介から三河ダルクにつながりました。

入所した頃は生きる気力もなく、炊事や洗濯、洗面から着替えることまで身の回りのことは何もできませんでした。隠れてアルコールを飲んで正直になれなかったこともありました。それでも仲間はいつも隣に寄り添ってサポートしてくれていました。自分自身が受け入れられずに自己嫌悪に陥っているときには「生きてていいし、居るだけで役に立つ」と声をかけて愛情を示してくれました。段々と仲間の中にいて不正直でいる自分が嫌になり、飲酒のことを打ち明けて自分なりの回復に向かってプログラムをやってみようという気持ちになっていきました。自分で飲んだ後のコーヒーカップを洗って片づけることから始めて、爪を切ること、着替えること、布団をたたむこと、食事を作ってみること、ミーティングに行くこと、サーフィンをやってみることなど、仲間が一緒にやってくれたことを受け取って自分一人でやってみて、同じ悩みを抱えて新しくつながった仲間に手渡していくうちに、役に立っているという感覚と共に幸せな人生に向かって再出発したいと思うようになりました。

回復のプロセスは苦しいこともありましたしこれからも続くと思いますが、問題を乗り越えていった先には成長が待っており喜びもあると実感しています。今ではダルクスタッフとして働かせてもらっており、絶望的な時にはもう自分には無理なんじゃないかと思っていた結婚もすることができて幸せな人生を歩んでいます。

ダルクには回復(幸せな人生への再出発)のチャンスが誰にでも平等にあるので、まだ依存症に苦しんでいる仲間が一人でも多くつながることを祈っています。

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